気づいたときが綴り時

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燃えよ剣。

観てきました。

 

日本で今も熱く愛されている人々が、本当に目の前で生きているようだった。

好「演」という言葉が逆に失礼なのではと思うほど、近藤勇土方歳三沖田総司の動く姿や関係性がそのものに見えていた。

殺陣のシーン。土方歳三は腕っぷしが強く、叩き斬るような一撃で人を圧倒する剣さばき。対して沖田総司は、身のこなしの軽さと気高く洗練された鋭い剣使いが魅力。

剣を振るう姿とは真逆に、仲間と話すときはいつも穏やかに楽しげな沖田が私は好きでした。

 

彼は士道や世の中の為というより、大切な仲間の道を切り開くために迷いなく剣を振る男に見えました。だからこそ、山南さんの介錯ののちに病床で「この剣が切ったのは山南さんだけです。」と話す沖田は哀しかった。

晩年は新撰組がくるしい状況ながら共に戦うこともできず、独りで、誰にも看取られずにこの世を去ってしまう。病床に伏せってからは、誰もが知っている沖田総司のその時が迫るのを見守るしかなかったけれど

透けて消えてしまいそうな姿に変わり果てても、明るい声で仲間の戦況を気にかける沖田の中に侍を感じました。

 

幕末の世の流れは壮絶で、昨日の正義が明日には悪とされる目まぐるしさです。

おのれの剣を振るう意味を考え続けた近藤 •土方の衝突と運命は、「逸話」「物語」として片付けることのできない辛さでした。なぜって、この世は国を護ってきたヒーローのような人々が報われ続ける場所ではなかったから。

この映画を観れば、新撰組の生き様にかならず心を揺さぶられる。でもその一方で、攘夷派の目線でこの人たちを見るなら決して正しい選択ばかりとは言えない。

嫌われる覚悟、命の行き先を自分の手で決める覚悟。

正しさを論じることよりも、覚悟を持って自分で道を選ぶこと。結局どの時代でもそれが人間のあるべき姿なのだと思う。

 

 

最後に。

剣を握る者たちと、俳優という人たちはきっと共通している。

俳優さんは「この人として生きる」と決めたら最後、どんな姿になってもその身に魂を宿す。「こう生きる」と決めたサムライが、自分の身を賭して戦いに赴くように。