絶望するときのはなし
急に人生に絶望する時ってあると思うんだ
そういう時って、別に大袈裟な事件は必要ない。
フッとそんなスイッチが入ってしまう。
抱えている悩みが永遠に続く気がしたり
この先の人生がひどくつまらないものに思えたり
死にたいかといわれると死にたくないけど
できるものなら ブチッ と
テレビの電源をコンセントから引っこ抜くみたいに
乱暴に 積み上げてきたものを無に帰したくなるというか。
目の前が真っ暗にみえてしまうことがあるよ 。
ただ落ち込むのと違うのは、そのスイッチが入ると
楽しいことしてみようとか
もう寝てしまえとか
その気持ちを解消する方向に頭が働かないこと
何もかも勝手に諦めていること
自分ダメだなあ。
と思っているだけなので
そのことを人に話して心配かけたくはないし
励まされたいわけでもないし
そうして1人頭の中からぬけだせなくなっていく。
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人と居ることは疲れるし傷ついたりもあるけど、
人と居れば、何にも関係がないところで元気を貰えたり
自分を少しはいい奴と思えたり、気がつけば笑っていたり
いつの間にかスイッチはオフになるものだよ
何を思ったとしてもまず、いま
そのスイッチが入ってしまっていると、気付くべきなんだよ
力いっぱい素敵な女性。
コメントこそしてなかったけどブログを見てた。
キャスターとしての彼女のことは綺麗な人だと知っているだけ
この一年で
闘病の日々を綴るようになり そのなかで見つける幸せを綴り 家族への愛を綴り
本当に素敵な女性だ、どうか良くなってと思っていた。
人柄を、病気のせいで知った。
6月20日、亡くなる二日前
最後となってしまった記事さえも 画面の向こうの誰かの幸せな1日を願う気持ちで結んでいる。 タイトル「オレンジジュース」
コメントを残そうとして、
いまさら何を書いてもこの向こう側に
あの人はもう居ないんだよな、 と思ったら書けなかった
書くなら今じゃなかった。
この時代なら届くことばもいまとなっては。
本当の遠くにいってしまった
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他人のことを思って行動し自分は二の次になってしまう
「いい人」ほど早くに、とはよく聞くし
他人に対して理不尽な「ずるい人」ほど
うまく生きてゆけたりするもので
闘病中でさえ世の人を救ってきた素晴らしい人を
こんなにもはやく連れていってしまうなんてやっぱり
不公平。理不尽だなこの世界
でも だからこそ 天の裁量に頼ってなんかいないで
素敵な人は周りの人が幸せにしてあげなくちゃ
かみさまが幸せな運命を用意してくれることを期待していないで
そばにいる人が
理不尽な人なんかよりずっと
幸せにしてあげなきゃいけないんだ
そう思った
身体には辛く、旅だった今も娘として 妻として 母として
もっと、 と思わないはずはないけれど
病におかされたことは人生のごく一部で
力いっぱい幸せに生きていたから
幸せな女性だと言いたい
心に 留めておきたい。
彼女が語るはずのことばを代わりに話さなければならない家族を見ていると
やっぱり涙はでる
この世に残したことばが家族を守ってくれますように
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力いっぱい素敵な女性
麻央さん おやすみなさい。
My thoughts are with her family and friends.